人生で大切なことはカイジが教えてくれた。

雑記

新年初っ端からギャンブル漫画の紹介みたいで申し訳ないが、マジでまだ福本伸行先生が描いてるカイジシリーズ読んでない人がいたら読んでみて欲しい。マジで人生変わる。下手な自己啓発本とか成功哲学の本読むよりかよほど役に立つから。

何かわけの分からんセミナーやら、合宿とか行くくらいだったらカイジシリーズ読んだ方がいい。人生の理が全てそこに詰まっている。言い過ぎかもしれないが、マジで詰まっています。

何がスゴイかっていうと、現実であやふやにされていることやごまかされているものをズバッと本質をついて言ってくれます。

世の中は、やれ「過程が大事だ」とか「人間みな平等」とか「職業に貴賎はない」とか、ともかくそういった博愛精神やキレイな美談が語られているが、カイジシリーズではそれをズバッと否定してくれる。何が大事かを説いてくれる。

中でも衝撃だったのが「金は命より重い」というセリフ。某利根川先生が、綱渡りに参加しているメンバーに言うセリフですね……。

このカイジ読む前は自分は漫画のキャラのように「いやいや、こんな命がけで綱渡りしてるんだから一千万円もらってもいいでしょ!?」みたいな感覚でしたが、それは全て間違いだと知りましたね……。

一千万円という重さ。積み重ねてきた人生、年月、努力の結晶。

生まれた時から競争のレールに乗り、有名大学を出て、一流企業に入社する。

あとは必死こいて毎日めげずに働き、積み重ねて30歳半ば辺りをむかえてやっと手に入るかもしれない金額。10年近くの歳月で手に入るお金が、一千万なのだ。

勿論いまの時代、ビットコインだ株だアフィリだブログだ起業だせどりだFXだと、お金を手に入れる方法はいくつもある。だけどどれも自分はロクに手を出していない。強いて言えばこのブログくらいだろうか。

だけどそういったいわゆる特殊な方法で稼いでいる人は極稀だ。周囲を見渡しても中々そうはいない。成功してきた人はもれなく、多大なる労力や時間を費やしている。

これまでロクに努力をしてこなかった自分が確かに、利根川が言う「一瞬だけ命を張った余興」をしても、その対価に見合わない事は確かだろう。そもそも命を張るギャンブル自体挑戦しないが。

確かに自分は以前の会社で仕事を頑張って、会社においてのそれなりのポジションはあったし、その会社ではまだ比較的お金をもらえてる方だった。

だけど、都内の有名な企業で働いている人たちには、労働条件や給料面では圧倒的に差がついていた。ぶっちゃけ不満だった。

だけどそういった有名な企業で仕事している人たちって、これまでを頑張ってきている人なんだよねって、カイジを読んでからふと思った。

中学、高校、大学とチャランポランに遊んできた自分と同年代の頃に必死に勉強に励んできた人たち。もちろん勉強が仕事に直結するとは言わないけれど、その勉強をやり抜いてきた意思や努力、やり抜くことを若くして選択できた人たちなんだろう。

そう思うと、いまの自分の状態は見事に現実を表している。そうカイジシリーズは教えてくれる。

何も積み上げてこなかった自分。成果を出していると思っていたが、実は成果を出しても全く評価されない会社で成果を出しても意味がないこと。それを知っているのに、動こうとしなかった……。そんな自分の”現実”をカイジシリーズは教えてくれた。

確かこのカイジシリーズに出会ったのは自分が29歳頃で、シリーズはけっこう先に進んでいた。

ワンポーカー編はちょっともうアレだけど、いちばん最初の利根川や帝愛の社長の兵藤とギャンブルするシーンや、沼というパチンコで大当たりを出すまでの過程は、非常に見習う場面が多い。

勝負には勝たないといけない。過程はどうあれ、勝てば全て肯定される。負ければ、全て意味をなさなくなる。これが現実だ。自分たちが生きる社会で世界だ。

「人の役に立つ会社を作りたい。人の幸せを実現したい」と言っても、その会社が潰れてしまえばその目標自体が実現出来なくなる。

自分の場合で言うと、「プログラマーになりたい」となり、転職をかけて文字通り人生を賭けた。

「そんな大げさな」と言われるかもしれないけれど、本当にそんな心境だったのです。別に起業するとかの方が、遥かにハードル高いしリスクも高いと思うのですが、当時の自分としてはほんとそんな心境。

スクールの費用を見積もって、MacBookを買い、半年間の生活費を見込んで、それまで貯蓄していた金を全てぶち込んでインフラトップというプログラミングスクールに投じた。

結果としてはちょっと不満な結果になったが、無事プログラマになったし、その時のことが授業料だと前向きに思うことにしている(しかしいまは去年と比べると色々充実したプログラミングスクール多いねー)。

それもこれもカイジを読んで、人生観が変わったからだ(と思う)。現状を見据え、現実を知り、未来(勝利)のためにあれこれ試行錯誤して掴み取った結果だと思う(運の要素もでかいが)。

これでもし仮にプログラマになれなかったら? 

もう完全に意味がない。嘘になる。インフラトップを呪っていたかもしれない。結果がこうだったから今も良好な関係を築いている(と思っている)が、一歩間違えれば自分は呪詛の言葉を吐き続ける存在になっていたかもしれない。プログラミングスクールという存在を完全拒絶していただろう。

だが結果を出した。そうはならなかった。なぜかって? 協力して、互いに結果を出せたからに他ならない。向こうは転職活動に協力してくれたし、自分は転職を果たした。その結果がいまだ。

もちろん目的に到達するまでの過程も大事だ。手段は選んだ方がいい。手段を選ばず、人を傷つけ、恨みを買って目的に到達しても別な意味で終わりを迎える(迎えないかもしれないけど、人の情念はそれほど強力なのだ)。

だから過程を大事にしつつ、結果を出す。これが最高。

過程を大事にしても、結果を出せなければ意味はない。評価されない。

「ん〜? 彼ね。結果はなくて、会社の売上落ちて、このままだと会社の経営危ないけど、過程が良かったから給料upしよう!!」とはならないと思う。なる会社もあるのかな?

過程を大事にして、結果を出す。これがどれほど難しいか、理想なのは知っているが、できればそうやって結果を出していきたいですよねぇ……。

そんな感じです。

[まとめ買い] 賭博黙示録カイジ

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